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下弦の月あるいは爪の痕

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[photo (c) Mariana Silva 2008]


あれは僕が中学生のころだったと思う。ある大切であるはずなのにその頃は大切だとはまったく思えなかった人を僕は物理的に傷つけ、彼は怒りと僕への積もり積もった憎しみと、そしておそらく彼の中に溜まっていたやりきれない思いの何割かの噴出によって、彼の右手の人差し指だと思うのだが今となっては定かではない指の先に生えてていた爪を、僕の左手の甲の右上あたりに突き刺した。

えぐるように、深く、唸りながら、睨みつけながら、数秒間突き刺し続けた。

僕は確か痛みのあまり叫んだと思うけど、その痛み自体はあまり覚えていない。痛いというよりは電気が走ったような、痺れるという感覚だったように思う。どのようにしてその爪が離れたのかも覚えていない。でも覚えているのは、それが去ったあと、爪の形に手の甲がえぐれていたことだ、いや正確に言えば爪の形に皮膚とその下3mmくらいの肉が「パカッ」と上に開いていたことだ。爪は円ではなくて半円なので、そこには半円の形に裂け目ができたわけだけど、裂けていないほうの半円の部分が蝶番のようになって、まるでみそ汁に入ったあさりのように、僕の左手の甲の右上は開閉自由な状態になった。何度か開け閉めしてみた。

そのとき僕が息を飲んだのは、その「フタ」を開けてみると、そこには僕のまぎれもない「体内」が見えたことだ。ほんの数ミリの深さではあるけれど、血にまみれた赤い肉が、そして毛細血管が見えた。いや、毛細というほど細いものではなかったと思うけど。

とにかく血管が生で見えた。

母に連れられて、傷口を抑えながら病院に行った。僕も母も、蝶番の部分を切断して、あさりの「フタ」を切り取るものだと思っていたんだけど、医者は「閉じておきましょう」とだけ言って、「フタ」を閉じ、薬をつけて包帯を巻いた。縫うこともなく、ただ「カチャリ」と閉めた。それから二度と「フタ」は開くことはなかった。

一週間くらいして傷口がふさがると、そこには、大切であるはずなのにその頃は大切だとはまったく思えなかったその人の右手の人差し指の爪の痕がそのままくっきり残っていた。

「下弦の月みたいだな」と思った。

彼は、それから何年かして亡くなってしまった。そのことに対する僕の思いはあまりにパーソナルなのでここでは述べない。でも、彼はすでにこの世界から消えたのに、彼の体の一部の形態は僕の体の一部にそのまま転写されたままで、僕が死ぬまで消えることなくそこに残っていることは、彼に対して負い目を感じていた/いる僕にとっては、なんだかうれしいことだった/である。「いまでも彼は僕の心の中に住んでる」とか、そういうことじゃない。それはあまりに不確かだし、そうであってほしいとは思うけど、確信は持てない。でも、この爪の痕は、即物的だ。とても確かだ。それは僕をなぐさめてくれる。

彼が生きていた証拠が、常に僕と共にある(あらざるを得ない)この身体に刻印されている。それはつねにここにある。僕はそれをどこかに忘れることも、失うこともない(できない)。死ぬまでずっと運びつづける。

それを僕は愛おしく思う。


★ ★ ★

…アイルランド現代美術館でいっしょだった(というか最後の三日くらいだけだけど)ブラジル人の同い年のアーティスト・マリアナちゃんの作品(いろいろな人々の体にある傷跡の写真をとり、それについてのインタビューと共にインスタレーションとして展示)のために、ダブリンを出る前日くらいに上記のような話をした。

ずっと忘れてたけど最近(2008年3月)展示風景とかの写真をメールしてもらって、なかなか良さそうな展示だな、参加できてよかったなと思ったのと同時に、そういえば、僕が爪の作品を作っていたことや、自分の顔が「パカッ」と開く作品を作ったのも、この経験と少しは関係があるのかもしれないなーと思った。

それだけ。




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